Karasawa Hitoshi

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柄澤齋「蝶」

柄澤斎「蝶」
Lepidoptera Ⅰ
1982年作
木口木版・手彩色
紙・木製標本箱・マーブル紙・針

私は2006年10月、神奈川県立近代美術館で開催された柄澤齋展を観て以来、柄澤齋の作品に強く惹かれるようになった。とりわけ心を奪われたのが、木口木版の「沈黙Ⅰ牡蠣」と、本作「蝶(Lepidoptera)」である。どちらも忘れがたい作品であり、いつか手に入れたいと思いながら長く探していた。そしてある日前触れもなく、偶然通りかかった画廊でこの作品と出会った。

本作「Lepidoptera」は20部制作された作品の一つであるが、手彩色が施されているため、すべてが異なる。木箱は非常に丁寧に制作されており、内張りには美しいマーブル紙が貼られている。作品は標本のように針で留められ、タイトルと署名が直筆で記されている。この作品にはⅠとⅡの二作があり対になっているが、私は青い蝶を描いた{LepidopteraⅠ}にとりわけ惹かれる。蝶の中心に男女が絡みあい、青い蝶の羽を広げている。まるで恋する二人の今を象徴するかのように、儚い美を精一杯に謳歌する瞬間を封じ込めたかのように感じられる。1950年生まれの柄澤は近年、眼を患っており、もはや木口木版のような緻密な作品を制作することは難しくなっているという。柄澤の優れた作品の多くは三十歳代に生み出されている。これほどの才能を持ちながら、自らの力量を十分に発揮できないもどかしさとどのように折り合いをつけていくのか、そのことが危ぶまれる。

柄澤の作品を観ていると、外国の画題を扱ったものが多いため、若い頃は海外で制作していたのではないかと思いがちである。しかし意外なことに、柄澤はこれまで一度も海外へ行ったことがなく、ひたすら日本で制作を続けてきたという。柄澤自身は、海外でさまざまな作品を観ることが恐ろしいのだと語っているそうだ。おそらくそれは、巨大な芸術的刺激を受けて制作意欲がかき立てられることへの恐れなのだろう。とりわけ現在の視力では、やりたくても取り組めない創作への苦悩に押し潰されることを自ら知っているからに違いない。柄澤齋がこの先、新たな境地を切り開き、生を全うしていくことを祈念するばかりである。もっとも、これまでに生み出された木口木版の作品群だけでも、彼はすでに十分に充実した創作の生を生きたとも言える。もし柄澤が長谷川潔のようにパリで作品を発表していたら、長谷川潔にも劣らない世界的評価を勝ち得たことは間違いないと思うのだが、それもまた人生の選択であることを柄澤の作品は語りかける。

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