Amedeo Modigliani-Reclining Nude

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アメデオ・モディリアーニ「白いクッションにもたれる裸婦」

モディリアーニの白いクッションにもたれる裸婦
モディリアーニ「裸婦」
Modigliani ‘Reclining Nude’
靠在白色靠枕上的裸體女性

モディリアーニが描いた裸婦は40点以上が知られている。その半分以上が横たわる裸婦である。モディリアーニの裸婦は、はじめてパリで展示された時に猥褻であるとして撤去されたということだが、どうしてなのか今一つピンとこなかったが、実際に描いてみてそれが判ったような気がする。それは量感である。上気した顔である。モディリアーニは彫刻のように、今そこにあるものとして裸婦を描いているのである。モディリアーニの絵は、さすがに彫刻家を目指していただけあって、明らかに量感を大切にしている。たとえば胸は、そのボリューム感と手触りを伝える彫像のように描かれている。たとえ巧く描けなくても、それを模写していること自体に快感がある。撫でるように量感をたどりながら描いていると、つい描き過ぎてしまう。その分出来が悪くなるが、モディリアーニ体験は心に残る。あの細い顔は体の量感を高めている。着やせしたグラマーの意外感がある。 問題なのは上気した顔である。頬は最初観た印象以上に赤みを帯びている。かなり赤く描いている。体との対比でそれは際立っている。事の前か後かは考えるまでもない。

こうして出来あがったモディリアーニの裸婦は、描くには猥褻でも、眺めるには心地よく、不思議と上品な絵になる。長い首は情感を醸し出し、やるせない女の気持ちを漂わせている。タッチが意外と大雑把で薄塗りであるのが、心地よさの秘密なのかもしれない。モディリアーニの作品は写実的見地からはもちろん正確ではないのだが、不思議と全体が調和している。彫刻を断念したとはいえ、モディリアーニの絵画スタイルは彫刻の延長線上にある。彼が描いた肖像画は彼の彫刻と瓜二つだ。彫刻の時と同じように絵画にもボリューム感を重視し、細かい筆のタッチは大理石を少しずつ削っていくノミの跡を連想させる。モディリアーニの絵は正面から人物と向かい合うことが求められる。モディリアーニにとって絵画とは前から観る彫刻であったに違いない。

モディリアーニの絵は生前僅かな値段でしか売れなかったが、今日天文学的取引価格になってしまった。「青の時代」のピカソの絵もそうであるが、モディリアーニの絵を観ていると、現実的困窮が創造的芸術作品を生み出す源泉なのではないかと思わずにはいられない。

モディリアーニ「ジャンヌ・エビュテルの肖像」
ジャンヌの肖像
Portrait of Jeanne
珍妮的肖像
モディリアーニの黄色いセーターを着た女
黄色いセーターを着た女
Woman in a Yellow Sweater
穿黃色毛衣的女人
モディリアーニのセーラー袖の服を着た若い女
セーラー服を着た女
Woman in a Sailor Suit
穿水手服的女人
モディリアーニのおさげ髪の少女
おさげ髪の少女
Girl with Braids
辮子頭的少女
モディリアーニのヌード
裸婦座像
Seated Nude
坐著的裸女
モディリアーニの「肩をあらわにしたジャンヌ」を國井正人が模写した絵画
肩をあらわにしたジャンヌ
Jeanne with Bare Shoulders
露肩的珍妮
モディリアーニの黒いネクタイの女
黒いネクタイの女 –
Woman with a Black Tie
穿黑領帶的女人

Reclining Nude

More than 40 nudes painted by Modigliani are known, with more than half of them being reclining nudes. When first exhibited in Paris, Modigliani’s nudes were removed for being obscene, a point that initially eluded understanding until the act of painting them seemed to offer some insight. It’s about volume. It’s about flushed faces. Modigliani painted nudes as if they were present, sculpturally. His work, indeed aimed towards sculptors, clearly values volume. For example, breasts are depicted like statues, conveying volume and texture, providing pleasure even in mere replication. Drawing with a sense of touching and tracing volume often leads to overworking the piece, though it might not improve the outcome, the experience of capturing Modigliani’s essence is memorable. The slender faces enhance the body’s volume, offering a surprising sense of a slender glamour.

The problem lies with the flushed faces, which are more reddened than initially perceived, standing out starkly against the body, with no need to ponder the sequence of events.

Thus, Modigliani’s nudes, though seemingly indecent to create, become comfortably elegant and mysteriously refined upon viewing. The long necks evoke emotion, suggesting a woman’s unresolved feelings. The unexpectedly rough touch and thin application might be the secret to this comfort. Modigliani’s work, while not realistically accurate, strangely harmonizes as a whole. Although he gave up sculpture, his painting style continues along the same trajectory. His portraits closely resemble his sculptures, emphasizing volume in painting as in sculpture, with fine brushwork reminiscent of chiseling marble. Modigliani’s paintings demand confrontation, akin to viewing sculpture from the front. For him, painting was undoubtedly sculpture viewed head-on.

Modigliani’s paintings sold for only a modest amount during his lifetime but have since reached astronomical prices. Like Picasso’s “Blue Period,” viewing Modigliani’s work suggests that financial hardship might be a wellspring for creative artistic expression. ChatGPT

阿梅代奧·莫迪利亞尼《靠在白色靠枕上的裸體女性》

莫迪利亞尼畫了超過40幅裸體女性,其中一半以上是躺著的裸體女性。莫迪利亞尼的裸體女性作品首次在巴黎展出時,因被認為是猥褻而被撤下,雖然當時不太明白為什麼,但實際上嘗試畫了之後似乎懂了。那是因為其量感,還有臉部的潮紅。莫迪利亞尼像雕塑家一樣,將裸體女性當作當下存在的物體來描繪。不愧是一位曾經追求成為雕塑家的藝術家,他的畫作明顯非常重視量感。例如胸部,就像雕像一樣,描繪了其體積感和觸感。即使畫得不夠好,模仿的過程本身也帶來了快感。在描繪時如同撫摸般跟隨量感,常常會不自覺地畫過頭,雖然這樣作品的完成度可能會受影響,但莫迪利亞尼的體驗會留在心中。那細長的臉增加了身體的量感,帶來一種瘦而有型的驚喜感。問題在於臉部的潮紅,頰部比最初看到的印象更加紅潤,畫得相當紅。與身體的對比使這一點更加突出。這是在事情發生前還是後,根本不需要考慮。

如此創作出來的莫迪利亞尼裸體女性,雖然畫起來可能是猥褻的,但觀賞起來卻舒適,奇妙地變成了一幅上品的畫。長長的脖子散發出情感,飄逸著一種無奈女性的情緒。或許是因為筆觸意外地粗糙和淡薄塗鴉,這是其舒適感的秘密所在。莫迪利亞尼的作品從寫實的角度來看當然不是精確的,但奇妙地整體卻是和諧的。即使放棄了雕塑,莫迪利亞尼的繪畫風格仍然在雕塑的延續線上。他畫的肖像與他的雕塑如出一轍。如同在雕塑時一樣,他在繪畫中也重視體積感,細小的筆觸讓人聯想到慢慢削減大理石的鑿痕。莫迪利亞尼的畫要求觀者正面與畫中人物對峙。對莫迪利亞尼來說,繪畫無疑是從前方觀看的雕塑。

莫迪利亞尼生前的畫作僅以極低的價格售出,但今日卻達到了天文學的交易價格。如同畢卡索的「藍色時期」的畫作一樣,觀看莫迪利亞尼的畫作,不禁讓人思考現實的困境是否是創造性藝術作品的源泉。

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