Georgeo Seurat

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ジョルジュ・スーラ「女のデッサン」

          

スーラのデッサン
女のデッサン
1880-1881年
鉛筆
ポール・シニャック旧蔵

この作品はジョルジュ・スーラ(Georges Seurat 1859-91)のカタログレゾネⅡに395番として掲載されているポール・シニャック(Paul Signac 1863-1935)旧蔵のデッサンである。31歳という若さで夭折してしまったスーラのデッサンは400枚位しか現存しない。

このデッサンは1880年-1881年頃に描かれている。1879年の第四回印象派展に感銘を受け、美術学校をやめることを決意し、ドラクロワの技術研究や色彩研究を試みている時期に描かれた作品である。スーラはパリの裕福な家庭に1859年に生まれている。父親は官吏を退官し年金で田舎暮らしを好んだという。そのためスーラは主に母親の手で育てられた。そう言えばこのデッサンは母親を描いたもののように思える。スーラは16歳でパリ市立デッサン学校に入り、その後78年にはパリの名門美術学校エコール・デ・ボザールに入学しアンリ・レーマンに師事した。レーマンはアングルの弟子で、スーラは徹底的に古典主義技法を教え込まれた。スーラ自身も、当初はその伝統的アカデミズムの画風を好んだと言われている。

このデッサンには、古典主義的な匂いが色濃く残っているが、形を追うのではなく、形の認識の仕方に意が払われており、スーラ自身が懸命に独自の様式を探し求めていた片鱗がある。このデッサンを見ていると、明暗の調子で実在感を伝えようとする様式を既に確立しつつあったことが伺える。美術評論家のフェリックス・フェネオンは、スーラやシニャックの表現様式を新印象主義と呼んだ。スーラはミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールやシャルル・アンリなどの光学理論や色彩論の影響を受け、科学的絵画手法を模索した。パレットの上での混色を避け、画面に直接点で描き、視覚によって混合する分割主義の考えを導入した。しかしながら、スーラの凄みは、科学的手法論を用いながら、画面には清楚で抒情的な雰囲気が漂っていることである。そこには調和のとれた気品がある。シニャックはそれを詩的という言葉を使って表現している。

スーラは83年に2点のデッサンをサロンに出品し、そのうちの1点で初入選を果たす。その後、有名な作品の一つである「アニエールの水浴」の制作を始めるのである。85年には、かの有名な作品「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の制作を始めるが、点描は極度の疲労を伴う作業なのか、91年には過労から風邪をこじらせて髄膜炎となり、偉大な才能を有しながら31歳の若さでこの世を去ってしまう。

デッサンは画家の言葉である。対象を凝視しながらも、記憶によって描いたスーラのデッサンには画家の並々ならぬ力量が見て取れる。闇の中から姿を現わしながら、半ば闇に溶解するスーラ独特のデッサンを、いずれは入手したいものである。

Art Collection

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